交通事故の目撃者になった話

交通事故の目撃者になった話

先日、交通事故の目撃者になった。ことの成り行きとか、考えたこととか、一連のことを言葉にしておこうと思う。

グロさとかはないけれど、楽しい話では無いので、苦手な人・気分が落ち込んでいる人は読まないでほしい。

起こったこと

通勤途中、目の前で自転車(シティバイク)に乗った方(Zさん)が転倒した。私は歩道、彼は車道。

派手な転び方だったので、近くにいた私と、もうひとりの目撃者(Aさん)が駆け寄った。

「大丈夫ですか?」

何度か声をかけると、Zさんはむくりと起き上がり、ぼんやりしていた。何が起こったのかわからない様子だった。

「大丈夫ですか?」

さらに声をかけて、数秒。

Zさんは「あ、大丈夫です」と答えたけれど、それは事態を把握したというより、反射的に応えたように見えた。

(大丈夫ではなさそうだ)

私はそう思った。

Aさんもそう思ったようで、年齢を確認したり、怪我の有無を確認したりしはじめた。(今思うと、Aさんは医療従事者あるいはそれに準ずる仕事をしている方なのかもしれない)

確認したところ、頭部に縫うような怪我があるらしかった。AさんはZさんに怪我の様子を説明し、救急車を呼んでくれた。

Zさんの意識もはっきりしてきたし、問題なく歩けるようだったので、二次被害を避けるため、Zさんと自転車、散らばった持ち物を車道から歩道に移動した。

そんな時、第三の目撃者(Bさん)が現れた。

「XX-XX、XX-XX」

Bさんは車のナンバーを忘れないように繰り返しつぶやいていた。

私とAさんは転倒する瞬間しか見ていなかったので知らなかったが、どうやら「乗用車との接触事故」の可能性があるらしかった。

じゃぁ警察に連絡をしなくっちゃ、みたいな事を言っていると、偶然通りかかった白バイがこちらに気づいて、話を聞きにきてくれた。

「怪我は大丈夫ですか?」「救急・110には連絡しましたか?」とか、「交通事故専門の部署を呼びますね」とか、そんな話をしたと思う。

そうこうしているうちに、あっという間に救急車も警察も到着した。

救急隊の方には私とAさん(っていうか、ほとんどAさん)が、警察にはBさんとZさんが事情をはなし、なんとなくお礼を言いあってその場を後にした。

全部で20分程度の出来事だった。

思ったこと・考えたこと

負傷者の「大丈夫」は大丈夫ではない

Zさんは自分の怪我を把握してなお「大丈夫です」「職場が近いんで」といって、そのまま立ち去ろうとしていた。

全然大丈夫ではない。

目撃者の人は、本人の意志を軽く無視してでも対応してあげたほうが良いと思う。

(各種保険的な意味でも、目撃者がそろっているタイミングで通報したほうが後々のためである)

ヘルメットはかぶってほしい

今回、Zさんはニット帽をかぶっていた。にもかかわらず、頭部にそれなりの怪我を負っていた。(Aさん曰く「結構パックリいっちゃってる」)

自転車で車道を走る人は、絶対にヘルメットをかぶってほしい。っていうか、歩道を走る人もかぶってほしい。

いざという時、自分ほど頼りにならないものはない。だって、ふっとばされるんだから。どうか、どうか「モノ」に頼ってほしい。

人の記憶は曖昧であること

警察や消防から話を聞かれた際、思い出せない・わからないことが多かった。話しているうちに、自信がなくなってくることもあった。私だけでなく、他の目撃者の方もそうであるように見えた。

ついさっきのことなのに、とても簡単なことなのに。

たぶん、その場にいた全員がパニック状態だったと思う。そうでなくても、人の記憶は本当に曖昧だ。

警察はその辺も織り込み済みで捜査をすすめるのだろうけれど、(野次馬的な撮影は論外として)本人に許可を得た上で、何か記録のようなものを残せたら良かったのかもしれないな、と思ったりもした。

協力者は多いほうがいい、けど無理はしないでほしい

今回は、テキパキしているAさんがいたり、白バイが通りかかったり、(消防署と警察署が近く)救急車や警察の到着が早かったこともあり、3人でもかなりスムーズに事故対応を行うことができた。

でも、Zさんの怪我がもっと酷かったり、負傷者の数が多かったり、白バイが通りかからなかったりしたら、3人ではとても手が回らなかったと思う。

夢中だったから正確にはわからないけれど、あの時間帯、事故現場はかなりの人通りがあったはずだ。

けれど、私達に声をかけてきた人は、いなかった。

その人達の気持ちはよくわかる。私が5分遅く家を出ていたら、きっと同じ行動をしたと思う。

(なんか大丈夫そうだし、いいか)って。

でも、今の私だったらきっと声をかける。

「何か手伝えることはありますか?大丈夫ですか?」

事故が起こった時、どうしても負傷者に目が行きがちだが、目撃者もまたパニック状態にある。目撃者もまた「当事者」なのだ。

冷静な第三者が加わってくれたら、こんなに心強いことはない。

とはいえ、事故現場や負傷者を目のあたりにするのはめちゃくちゃ精神的ダメージを負うので、無理をする必要はないと思う。

善意で声をかけて、二次被害が広がったら意味がない。必ず自分を守ることを優先してほしい。

もし、日常生活でそういった現場に遭遇したら「自分の状態を何よりも優先した上で、無理のない範囲で協力」できたらいいんじゃないかな、と思った。(もちろん、協力できなかったとしても、自分を責める必要はない)

(……ただ、マジで立って見ているだけの「ガチ野次馬」は、通りすがりの人に頭数としてカウントされてしまいスルー率があがるのでやめてほしいし、何より興味本位で写真を(怒りの以下略 )

「人を助けることは綺麗事ではない」

私がとった行動は、きっと「褒められる行為」なのだろう。頭ではわかっていても、いざとなったらなかなか難しいよね、みたいな。

実際、私はがんばったと思う。できる限りのことをした。同じことが起こったら、やっぱり同じような振る舞いをするだろう。

でも、他人にも同じ行動を求めるかと言うと、それはできない。私は目撃することでダメージを受けた。対応することでもダメージを受けた。

「人を助けることは綺麗事ではない」を身を持って知った。

目撃者も被害者の一人

目撃者も被害者の一人だ。しかも過失割合0:100の。

それなのに、突然「勇気ある」行動を求められて、できないと批判されたり、自分を責めてしまったりする。

「被害者」がいるからって、辛い、怖い、逃げ出したい……そういう感情を無意識に抑え込んでしまったりする。

実際に経験してみて、これは無理ゲーだなって思った。もう二度と事故現場には遭遇したくない。

繰り返しになるが、目撃者はれっきとした「被害者」の一人だ。

ショッキングな場面に遭遇して、精神的ダメージを受けるのは、ごくごく自然な反応だ。だから「傷ついた」って言っていい。っていうか、言わせてほしい。

だって私は傷ついたから。

(Aさんはテキパキしててすごかったな、それに比べて私はぜんぜん役に立てなかった。Zさん大丈夫かな、頭とか脊椎とか何もないといいけど。大事故ってわけじゃないのに、私ちょっとおおげさだよな。なんだかすごく身体がだるいし、なるべく考えないようにって思ってても、気を抜くといろいろ思い出してしまうな。しばらくは仕方ないかな。あぁ、明日もあの道を通るのか、嫌だな、ちょっとの間、経路を変えてみようかな……。はぁ……)

と、かなりテンプレ的な反応が起きている。

なんだかんだ、自分を責めてしまったりもしているので、しばらくは、いつもに増して自分を大切にしてあげる予定だ。

もし、交通事故の目撃者になってしまったら

もし、あなたが交通事故を目撃したら、あなたはその時点で、事故の被害者であると私は思う。

あなたには「傷つく権利」がある。
あなたには「助けを求める」権利がある。
他の人がどうであるかは関係ない。

もちろん、何もなければそれに越したことはないけれど、あれ、なんかちょっとおかしいな……と思ったら、自分が傷ついている可能性を考えて、自覚をして、ゆっくり心を休めてほしい。必要があれば専門機関に相談してみるのもいいと思う。

また、身近な人が目撃者になってしまったら、どうか、そっと支えてあげてほしい。自覚なく傷ついている可能性があるから。

最後に、被害者支援都民センターのサイトと各種リーフレットへのリンクをはっておく。使ってほしくはないけれど、いざという時のお守りとして。

さて、明日は何を書こうかな。

被害者支援都民センター
http://www.shien.or.jp/index.html

事件・事故の現場に居合わせた方へ
http://www.shien.or.jp/sp/pdf/leaf4.pdf

事件・事故にあわれたときに
http://www.shien.or.jp/other/pdf/leaf01.pdf

被害にあわれた方を支える 家族や友人のために
http://www.shien.or.jp/other/pdf/leaf02.pdf

その他リーフレット一覧
http://www.shien.or.jp/other/leaf.html